ピースボートv114で世界一周 10~15日目(2023.4.16~21)

楽器練習ひろば

8:30~9:00まで楽器練習ひろばというのがあったので早速マニラで買ったキングフルートを練習しに行ってみた。もしかしたらキングフルート仲間がいるかもしれないと思ったが、残念ながらいなかった。しかし、見たことのない楽器を練習している人などもいて面白かった。

 

ウェルカムセレモニー

10日目にウェルカムセレモニーがあった。船内スタッフの紹介や乾杯などがあり、多くの人がスーツやドレスに身を包んで参加した。自分含め、いつも適当な服を着ている人たちがおめかしをしているので、豪華客船に乗っているような、そんな錯覚を覚えた。その後には社交ダンスパーティーがあり、軽く覗きに行ったら踊り方を教えてもらえた。

 

はじめてのフラメンコ

先生たちが次の寄港地、バリ島で降りてしまうので、マニラ寄港前からやっていた「はじめてのフラメンコ」がついに最終回を迎えた。その翌日にフラメンコショーがありそこで練習の成果を披露する機会があったのだが、舞台に立つといつもと違った感じがしてあまり上手くはできなかった。

 

 

カルチャースクール

カルチャースクールが始まった。ヨガ、水彩画、社交ダンス、サルサ、ノルディックウォーキングがあり、道具が必要なものもあるが、いずれも無料で受講することができる。私はヨガと水彩画を取った。水彩画を取る気はさらさらなかったのだが、ごはんでご一緒した「たこさん」が道具を貸してあげるから一緒に受けようと誘ってくれたこともあり、絵を描く機会など全くないしせっかくなのでとくちゃん*1と一緒に受けることにした。

クラス分けがあり、ヨガは7:20~8:00のクラス、水彩画は14:15~15:15のクラスになった。どちらも2日に1回ほどのペースである。ヨガがある日は、ラジオ体操に行って軽くご飯を食べてそのままヨガに行くというのが日課となった。

 

朝の健康サルサ

たこさんがダンス系だったらサルサが楽しいと教えてくれたので、「朝の健康サルサ」に行った。カルチャースクールのサルサとはまた別だ。7:20から30分間。朝早いので若者の姿は無いが参加者は多い。いい運動になるし、朝から身体を動かすのは気持ちが良い。

 

赤道通過の集い

赤道通過の集いという企画があった。てっきり赤道が肉眼で見られるのかと少し期待したのだがそんなわけはなく、ただ赤いひもの上をまたいで越えていくというだけのくだらない企画であった。こんなくだらない企画も船の上だから許されるのだろう(笑)

 

誕生日パーティー

誕生日にはケーキを出してもらえるので、若者みんなで集まって祝うというのもやっていた。祝って写真を撮ったらわりとすぐみんな散り散りになってしまうので、せっかく集まったのに少々淋しい気もした。

 

中文教室

中文教室に行き始めた。中国語は少し学んでみたいと思っていたのでちょうど良かった。9:10から40分間ほぼ毎日あったが、発音が難しいのと優先度が下がってしまったのとで結局のところ10回ほど行って挫折してしまった。

 

自主企画

船内では自主企画というものができる。自分で好きな企画を考えて時間と場所を指定して提出し、それが通れば実際に企画として行うことができるのだ。例えば「○○の人集まろう」や「一緒に○○をしよう」など1回きりのものや、レッスンや講義のように何回かにわたって行うものもできる。自由度は高いので、比較的なんでもすることが可能である。私もいくつか自主企画を行ったが、それについてはまた後日述べることにする。

 

金環皆既日食

金環皆既日食を見ることができた。

簡単に言うと太陽と月と地球が一直線に並ぶ天体現象である。

これを観測するために、船でピンポイントの場所まで移動して見るという。船だからできることである。これを見るために船に乗ったという人もいるくらいなのだが、小学生の時に見たことがあるというとくちゃんは「全然大したことないから期待しない方がいい」と言っていた。

10:30に部分食が始まった。配布された紙のサングラスを通して見ると、たしかに欠けている。

船室に1人1つ配られた

ここから少しずつ欠けていくらしい。望遠鏡を通して映した影を見るとその変化が分かりやすかった。

よく見ると太陽の黒点も見られる

上の写真の30分後の様子


12時の皆既日食までは少しずつ変化していくだけなので室内に戻って行く飽きっぽい人たちもいた。

丸く穴を開けた紙で影を映してもその変化が見られて面白かった。

皆既日食が始まると、昼間なのに一気に暗くなって、真っ暗になった。1分くらい経ってダイヤモンドリングが現れると、また再び明るい世界に戻った。

そこから14時頃まで部分食は続いた。

あんなに大したことないと言っていたとくちゃんも船の上で見るのはまた違って感動したと言っていた。良かった。

 

トビウオ

船の上からトビウオが見られるという情報を聞き、デッキに出てぼーっとトビウオ探しをした。イルカが見られるという話もあったが、イルカよりはトビウオの方が簡単に見られるだろう。案の定しばらく張っていると本当にトビウオが現れた!ずっと見ていても飽きないのでしばらくぼーっとしていた気がする。

 

絵しりとり

部屋のドアのところにホワイトボードをかけている部屋があり、隣の部屋にもかかっていた(私たちの部屋にはかかっていない)。要は伝言用なのだが、いつまで経っても何かが書かれる気配がないので、とくちゃんと勝手に絵しりとりを始めてみた。隣は「こらしょ」と「よるしー」という怒らなさそうな2人だったからだ。が、しばらく何の反応も無かったので、実は部屋の中でぶち切れてるかもしれない、と少しビクビクしていたが、その心配は無用だった。持ち物紹介という企画があったのだが、2人がそこで「誰かが知らないうちに絵しりとりを始めていて、…」とホワイトボードを紹介していたのだ(笑)

ハウスキーパーのお兄さんにも絵を描いてもらった

とくちゃんと2人で種明かし兼誤りに行くと、「やっぱり~」と言われた。それからずっと絵しりとりは続いた。

 

伝言ノート

8階の卓球場の近くに伝言ノートが置かれていた。海の上は電波が通じなく携帯電話などで連絡を取り合うことは不可能で、唯一の連絡手段といえば部屋から部屋にかけられる電話くらいだ。そこで人を探すときはすれ違う人に「○○見てない?」と聞いたり、急ぎでなければこの伝言ノートに要件を書いたりしていた。しばらく目を通していないと、知らなかった、なんてこともあるので暇さえあればこのノートを確認しに行っていた。この不便さがまた良かった。ノートの所に行くと誰かしらいることが多かったので、話し相手が見つかっていい暇つぶしにもなった。

 

その他

孫どころか子どもすらいないが「孫にウケるマジック教室」に行ったり、ダンスや、「健康リズム体操」という50分間ひたすら身体を動かし続ける体操をしたり、クイズ何問目、イントロクイズなどのクイズに参加したりなどもした。

*1:同部屋の子

ピースボートv114で世界一周 7~9日目(2023.4.13~15)マニラ寄港

日本を出航して初めての寄港地、マニラに到着した。マニラは3日間だ。当初はマニラの前に中国の厦門にも行く行程だったが、出発直前になって家に寄港取り止めのハガキが届き、その代わりに2日間だったマニラが3日間になった。マニラを3日間にするなら他の寄港地を1日増やしてほしかったが、港の関係などもあってそうも行かないのだろう。

飛行機に乗って泊まりでセブ島などに行っている人たちもいた。マニラだけに留まらないという選択肢もあったのか。ただマニラに限っては、外泊するとPCRか抗原検査を受けないといけないらしく、それが面倒くさそうだった。陽性なら強制下船だろう。リスクも高い。また、24時を過ぎると船から締め出される上に前述の検査も受けないといけないという情報もあった。

 

1日目

実に6日ぶりに陸に降り立った。暑くて蒸し蒸しする。船の上以外を歩いているのが変な感じがして、見慣れない景色を見てようやく、本当に世界一周をしているんだと実感した気がする。

タイニー*1に横浜ピーセンの人たちと一緒に回る?と誘われたのだが結構な大人数だったので断って、とくちゃん*2と2人で回ることになった。治安があまり良くないと聞いていたので警戒しながら歩いた。トゥクトゥクとか自転車の客引きが多い。そしてお金をせびる子どもたちもたくさんいた。

フィリピンペソを入手するために港の近くのセブンイレブンに行くと、知った顔が何人かいた。結局ATMの調子が悪く、お金を下ろすことができなかったため、他に替えられそうなところがあったら替えようということになった。

せっかく世界一周するのなら一周を通して何かがしたい、ととくちゃんに話したところ、全寄港地でどの国にもありそうなマクドナルドに行って物価を比較するのが面白そうじゃない?という意見をもらったので、さっそくマクドナルドに行った。

注文はタッチパネルからできる。お腹を壊すかもしれないから飲み物を頼むときには氷無しにした方がいいと言われていたのだが、言いたいことが伝わらずに氷ありになってしまった。まあ、お腹は壊さなかったので良しとしよう。

とくちゃんがタッチパネルで選んでいるとき、困っていないか警備員の様な人が見に来た。そのときに氷無しにしたいというのが通じたらしく、その警備員がレジにいる店員さんに伝えに行った。と思ったらそのままズカズカとカウンターの向こう側に入って行き自分でドリンクを作り始めたのだ。え?!警備員じゃないの?!

残念ながらwifiは使えなかった。

その後マニラ大聖堂に行き、サンチャゴ要塞にも行こうとしたのだが、現金じゃないとチケットが買えなかったのでこの日は断念した。お金はあるのにお金が無いのだ。

スーパーに行った。フィリピンで有名だというバナナケチャップを買った。出るときにレシートと袋の中身をチェックされる。

それからJ.COというドーナツ屋さんに入ってみた。警備員なのか、お店のドアを開けてくれる人がいた。隣のお店にもいたので、このお店だけというわけではなさそうだった。色々なドーナツがあって悩んだが、アボカドディカプリオ(Avocado Dicaprio)を注文。

ネーミングセンスがあって面白い

そして飲み物にアボカドフラッペを頼んだので、アボカドが大好きな人みたいになってしまった(笑)そして普通のドーナツが一つ。これは飲み物を頼むと付いてくるおまけらしい(それならドーナツは頼まなくてもよかったな…)。

国立自然史博物館という無料の博物館に行った。無料だとは思えない綺麗さと広さ!建物の中にいるだけでこんなに安心できるものなのか。中央の吹き抜けで学生らしき人たちがたむろしていたが、その気持ちがよく分かった。

広々した吹き抜けがある

治安が悪めな雰囲気の通りの角にジョリビーがあったのだが、ジョリビーの赤い蜂のキャラクターの笑みがとても不気味に見えた。

結局両替はせず、クレジットカードのみで1日過ごした。JCBが使えるところもあった。

「No, thank you(いいえ、結構です)」というお断りだけでは退かないしつこい客引きに「No money(お金がない)」と言うと「Why(なぜ)?」と半笑いで返ってきた。そりゃwhyだよな(笑)明らかに観光客なのにno moneyなわけがない。でも本当に現金は全く無かったんだよ。

いい時間なので船まで戻っていると、客引きが「Go to the ship(船まで行くよ)」と言ってきた。何も言っていないのに船の客だとバレバレのようだった。多分合ってるよな、とあまり自信もなく歩いていたが、「2ペソで送るよ」と言ってきた客引きがしばらく進んでから「1ペソ」と言ってきたのでそのおかげで船に近づいてはいることが分かった。ありがとう、客引きのおじさん(乗ってはいないが)。それにしても、1ペソは2.4円くらい。本当に1ペソだけで乗せてくれたのだろうか。どう考えても安すぎて不安になるくらいだ。

 

2日目

どういう流れで一緒に回ることになったかは忘れたが、とくちゃん、ハリー、エレキ*3、そしてエレキと相部屋の「デラックス」と回った。

港の近くのホテルでドルからフィリピンペソに替えてもらったのだが、手数料で250ペソ(約600)円も取られてしまった。だが、これでようやく現金を手にできた。

フィリピンペソ

そして今日のメイン、アジア最大級のショッピングモールであるSMモール・オブ・アジアへ。ホテルで呼んだタクシーで向かった。

デラックスはろう者なのだが、そこで現地のろう者の知り合いと会うらしい。そこから別行動になるはずだったが、お父さん、お母さん、ろう者の娘さんと、娘さんのお友達の4人と合流し、一緒に回ることになった。

Chowkingというお店でハロハロをいただいた。

モールの中を色々見て回ってお土産を買ったりもした。自分用にキングフルートというリコーダーのような楽器を買ってみた。指使いはリコーダーと似ているのだが、息の強さで音の高さが変わるというのがリコーダーとは違う。

こんな近代的な通路もあった

フィリピン料理をたくさんいただいた。お金を払おうとしたのだが、結局おごっていただいてしまった。

海の見える方まで行くと、遠くに我々が乗ってきた船も見えた。

帰るときにはタクシーを捕まえて値段の交渉までしてくれ、とても良い方々だった。目的地を正しく伝えられておらず結局始めに言っていた料金より多く取られてしまったのだが...。

 

3日目

再びとくちゃんと2人で行動した。

交通量が多い所での道路の横断がなかなか怖い。渡れないでいると現地のおじさんが車を止めて渡らせてくれた。「Thank you」と言って行こうとすると、「Give me some money(お金ちょうだい)」と。そういう感じか。

歩いているといつものように客引きが来る。自転車のおじさんだ。1回くらい乗ってみてもいいかもねと話していたので、いつもは値段すら聞かないが試しに聞いてみた。周遊ツアーを提案されたが、サンチャゴ要塞にさえ行ければよい。そう言うと、渋々金額を提示された。いくらか忘れてしまったがそこまで高くない気がしたので乗ってみることにした。うまく説明できないが、自転車の後ろに2人乗れるところが付いている乗り物である。歩道を走っていたので、車道に出るための段差でまずガッタン。そして横断歩道を渡って行くのかと思いきやいきなり車道の真ん中を走行!しかも運転中に話しかけてくるので怖い。運転に集中して!乗車時間2分半。あれ、こんなに近かったっけ。少しヒヤヒヤしたが面白い経験ができたので良いか。

そして1日目に現金が無くて行けなかったサンチャゴ要塞に到着。

あの怖い笑みの所とは別のジョリビーに行ってお昼ご飯。

カサマニラという博物館にも行った。

離脱のことを調べるためにスタバに入った。

おしゃれなスタバ

が!wifiが使えない!店員さんに聞くと、フィリピンのsimを使っていないとwifiは使えないとのことだった。せっかくスタバに来たのに…。注文したStrawberry Pie Pure Matcha Latteを飲んでゆっくりした。

スーパーに行った。マンゴーと、タマリンドという見たことのない果物を買ってみた。ちょっと食べてみたいという程度だったので1口で良かったのだが箱売りしかなくて箱で買った。

プルーンのような味がする

そして近くにあるはずなのに行けていなかったリサール公園へ。

その後、ポストカードを送るために地図上で郵便局と書かれた所に行ったのだが、そこには郵便局など無かった。

これは郵便局ではないな…

仕方がないので諦めて、ポストカードは船から送ることにした(ポストカード1枚だと300円で代行して送ってもらえる)。

観光はもう満足したのでwifiを拝借しようとホテルに入ると、船の人たちがいっぱいいた。みんな考えることは一緒か。そこにタイニーもいて、この3日間で色々調べてくれたらしい。ありがたい。ちなみに近くの水族館でもwifiが使えて、そっちにいた人も結構いたらしい。

帰船リミット(船上に戻らないといけない時間)のわりとギリギリまで何人かでセブンイレブンで最後の買い物をしていた。結局お金は使いきれなかったけどまあ良いか。

毎寄港地、マグネットとポストカードは買うことにした。

 

マニラは3日間もあったから時間を持て余すくらいゆっくりできた。

*1:船に乗る前からの知り合い。一緒に離脱しようか企んでいる。

*2:同部屋の子。

*3:麻雀友達

ピースボートv114で世界一周 2~6日目(2023.4.8~12)

神戸港に到着!

2日目の15時半に神戸港に着いた。18時半の出航式、そして出航までけっこう時間があったが陸に降りることはできない。暇なのでジムのウォーキングマシンでひたすら歩いていたら、止めても足が勝手に動くという変な感覚を体験できた。

ウォーキングマシン以外もある

神戸から人が乗ってきて昨日よりぐっと人が増えたなと感じた。結局部屋の人数は増えなかったので2人部屋だ。聞くと、今回に限ってはコロナ対策で4人部屋が無いらしい。同じ値段で2人部屋になるなんてラッキーだ。相方との相性が悪かったら最悪だけど(そんな部屋もあったなぁ)。

 

洋上ラジオ体操

毎日20時頃、部屋に船内新聞が投函される。船内新聞には次の日のイベントなどが場所ごとに書かれていて、それで自分の予定を組んだりする。相部屋のとくちゃんとベッドの上でよく「明日何するのー」なんて話をしていた。新聞を見ていると、気になるものが。6:45-7:00洋上ラジオ体操。朝早いが、朝方の自分にとってはそこまで苦ではないし、とくちゃんも朝方になりたいとのことだったので2人で行ってみようということになった。

それからラジオ体操で1日を始めるのが日課となった。ラジオ体操なんてスタンプをもらいに行っていたいつかの夏休み以来していなかったが、外のデッキで、しかも海の上でするラジオ体操はなんとも清々しいのだ。

4月26日のラジオ体操では朝焼けが見られた

 

麻雀

とくちゃんが急に「麻雀って興味ない?」と聞いてきた。船内を散策していた時に、麻雀部屋で麻雀をやりたいけど人数が足りないという方と出会ったと。とくちゃんはケータイのアプリでやったことがあってなんとなくは分かるらしい。暇だしとりあえず行ってみることにした。ポンジャンというのは家で何度もやったことがあるけれどそれとは全然違うだろう。

ケータイのスクショで基本的なルールを見せてくれたが、大して読む暇もなく始まってしまった。やったことがないとは伝えたが、だからといっていちいち聞けるような雰囲気ではない。何も分からないから、とりあえず自分の番になったら1つ引いてきて要らないっぽいやつを捨てる。そして他の人が上がった時になぜ上がれたのかを観察する。そんなことを繰り返していた。ネットで調べられたらな、なんて思っても船の上だから電波が無いのだ。

ある時若い女性2人が麻雀部屋に現れた。「ハリー」と「エレキ」である。ハリーは普通にできるしエレキもアプリでやったことがあるというとくちゃんパターンだ。それから4人で時間を合わせてやったりもした。麻雀友達になった。

マニラに降りてから行かなくなってしまったが、それまでは毎日麻雀部屋に行っていた。上がり方なんかもなんとなくは分かるようになった。

 

若者がいない

船に乗る前に若者もけっこう乗ると聞いていたが、普通に生活していてもこんなに会わないものなのか?というくらい会わない。夜にちらちら見るくらいで、朝も昼も、ごはんの時でさえ全然会わないのだ。周りを見てもおじさんおばさんばかり。朝のラジオ体操から自然とほとんど行動を共にしていたとくちゃんと「なんでこんなに若者がいないんだろうね」「みんなどこにいるんだろうね」と話していて、ごはんでご一緒した人に「若者となぜか全然会わないんです」と言うと、「生活リズムが私たちと同じような感じだからじゃない?」と返ってきた。なるほど、早寝早起きがダメなのだろうか。

ある日の5階の昼食。炭水化物×炭水化物!

 

3日目から「ユース学び舎」という企画が始まった。ここに行けば若者がいるかも!と思って行くと、案の定たくさんいた。船旅を通して学びを深めようというものだったが、最初の2回くらいは自己紹介とか交流の場であったのでそこで何人か顔見知りはできた。その後も行こうかと思ってはいたが、ディスカッションをしたりするのが学校の様だし話し合う内容もあまり興味のない分野だったので自分には合わなくて行くのを辞めた。

4日目の夜には「わいわいPARTY NIGHT♪」という企画があった。20:30-22:00という時間帯からしてターゲット層は明らかに若者だろう。行ってみるとユース学び舎以上の数の若者がいた。70人くらいだろう。え、こんなにいたの?!ジェスチャーゲームとかレクなようなものを文字通りわいわいやって何人かは名前を覚えたつもりだったけれど、案外1回じゃ覚えられないものである。

そしてそういう企画に参加しない限り、やっぱりなぜか若者が全然いない。

色々な人に「いつもどこにいるの?」と聞いたら、大抵の人が「普通にその辺にいるよ。逆にどこにいるの?」と言ってくる。やはりそもそもの活動時間が全く違うのだろうか。

 

船内チーム紹介

船内チーム紹介というものがあった。船内では、企画、映像、PA、新聞、ピースボートセンターと5つのチームがあり、イメージとしては委員会のような感じである。もちろん属しても属さなくてもよい。ほぼ毎日ミーティングのようなものがあるが、これは強制参加ではない。

私は映像チームに入った。船内では「クルナビ」という船内情報や天気などを放送する船内用の番組が流れるのだが、主な活動としてはそこで使う映像を撮ったり編集をしたりする。後半は他が忙しくてなかなか顔を出せなかったが、良い経験になった。

他のチームはざっとしか分からないので、分かる範囲で説明する。

企画は、大きめのイベントがある前に募集され、企画、装飾、運営などを行ういわゆる実行委員である。

PAは企画、イベントの時の音響や照明などを担当する。チーム内の繋がりが一番強そうで頻繁に集まりをしていて楽しそうではあった。

新聞は、毎日船室に配布される船内新聞を作るチームで、自主企画申請広場(また後日紹介する)で自主企画の受付も担当する。

ピースボートセンター(通称:ピーセン)自体は陸にもあるが、船内で言うところのピーセンは物品を借りられる所である。ペン、雑紙、地球の歩き方など色々揃っているので、何か欲しい時にはとりあえずピーセンに行って聞いてみたりする。そんなピーセンで貸し出しの窓口になるのが、ピーセンチームである。

 

フラメンコ

4日目に出航記念フラメンコショーがあった。7階には「プリンセスシアター」と「ビスタラウンジ(通称:ビスタ)」という大きい会場があり、催し物は大体そのどちらかで行われる。本格的なものを無料で見られるなんて思ってもいなかった。

プリンセスシアターには2000人くらい入れる

さらに、6日目から「はじめてのフラメンコ」という企画が始まった。歌と踊りとギターに分かれてそれぞれ練習し、最後に合わせるというものだ。フラメンコを実際に見て興味を持った人たちがすぐに参加できる機会があるなんて、素晴らしいの一言に尽きる。自分も踊りに参加した。

 

講義

水先案内人(通称:水案)という方々も何名か乗船していて、その方達が講義をしてくれたりもする。歴史や政治、教育、世界の国のあれこれなど内容は様々で、もちろん参加は自由だ。ずっと同じ人たちが乗っているわけではなく、途中で降りたり途中から乗ってきたりしてころころ変わる。その水案の講義にも何回か行ったが、大体前半で眠くなって寝てしまうので意味がないなと思ってあまり積極的には行かなくなった。眠りを誘ってくるビスタの椅子も悪い(笑)

 

○○のいろは

「マニラのいろは」など、寄港地の前にやってくれる企画。これはほぼ欠かさず行っていた。たまにどうやっても行けないところを紹介してくるなど無茶苦茶なこともあったが、比較的ためになる企画であった。寄港地の情報は、大体これとピーセンで借りられる地球の歩き方(web版)を使って入手しており、あとはオフラインでも使えるMAPS.MEという地図アプリを重宝していた。

 

本日の脳トレ

脳トレにドはまりする。1日1問。問題がスクリーンに映し出されて、答えが分かった人から司会者の元へ行き、メガホンを通して回答する。テレビでよく見るような光景が、参加していて楽しい。答えた人から帰ってよし、途中から参加するもよし(後半だと高確率でヒントが出てしまっているが)。そんな気軽に参加できる感じがちょうどいいのだ。

このメガホンを使って回答する

それでも本気の人は本気だ。問題が出された瞬間回答に行く、そんな強者もいた。それが「スプ兄」である。本当は「スプリング」というあだ名なのだが、なんだか悔しいのと尊敬の意味を込めて、勝手にそう呼ぶことにした。年下だし兄(にい)でもなんでもないのだが、脳トレの兄(にい)といったところだ。他にも「米村」とか「フレップ」がよくバチバチしていた。さすがに行けない日もあったが、脳トレだけは序盤から終盤までわりと参加し続けていた。

 

コインランドリーが使えない?!

事前に電話で確認したときには「あります」とのことだったのに、なぜかしばらく使えないらしい。まあ確かにあることはあるのだが使えないとは聞いていない。

ランドリーサービスはあるのだが、1袋800円。うーん。とりあえずコインランドリーが使えるようになるまではファブリーズと手洗いで頑張ることにした。

 

トイレが詰まるなど、船内の不調は他にもあった。

 

離脱する?

船に乗ってから知ったのだが、船から一時的に離脱することも可能なのだ。離脱をする前にレセプションで離脱届を出さないといけないが、港から次の港(もしくはもっと先の港)まで船に戻らずに自由行動をして戻ってくるということもできるということだ。

ある日夜ご飯で一緒になったおばさんに、スペイン~フランス間は船に乗っていても特に面白い場所は通らないから、離脱して電車で移動でもしたら?と提案された。電車旅は好きなので最初はそれで頭に引っかかった。行けたらいいなあ。だけど調べる時間とかも全然無いのに本当に行けるのだろうか。

何かの会話の流れで、一応乗る前から知り合いだった「タイニー」に軽く話したところ、私以上に乗り気になっていた。「それいいね!人集めるよ!」とりあえず3日間もあるマニラで調べてみようということになった。

 

フィリピン入国手続き

フィリピンの入国手続きは船内のwifiを使って自分で行わなければならないという手紙が客室に届いた。混雑しないように〇階の部屋は〇時からなどと決められていたのだが、先に手続きをしようとしていた年配の方々が苦戦していて、そのへんの若者にお金を払うから代わりにやってくれと頼んでいる人もいた。結局のところwifiの接続が悪すぎて若者がやってもできなかったのだが、それに付け込んで今度は船会社が「〇円で代行手続きします」と言い出した。そこで、ネット環境が悪くてできないのに船側がお金を取ってやるのはおかしいと乗客が抗議し、結局は全員分タダで船側がやってくれることとなったが、ここで少々不信感を覚えた。

他にも

「バスケをしよう!」で中学ぶりにバスケをしたり、「一緒に夕日を撮ろう!」でデッキに夕日を撮りに行ったりもした。

 

東京ピーセンで知り合った何人かに初めて船で認識されたときに「あれ、いたんだ」と言われた。あくまで、114回クルーズだったんだ、という意味で、決して悪気はないとは分かっていながらも、少し淋しくなった。ピーセンに行って乗る前から知り合いを作れるのはとても良いことだと思うが、そこの繋がりが強すぎて、そこに入れていない者からすると少しだけアウェイだと感じることもあった。少しだけ。けっこう気さくな人が多いので、そう感じたのも最初の数日だけではあったが。

ピースボートv114で世界一周 1日目(2023.4.7)

背中にはリュック、首にはカメラバッグ、そして海外旅行用の大きいスーツケースをごろごろしながら横浜は大さん橋へ向かう。最低限の装備である。荷物は事前に郵送で船に送ることもできたのだが、ギリギリまで準備をしていたのでそれには間に合わなかった。

大さん橋は12月に一度下見に来ていたので、久しぶり、という感じだった。

集合時間は9時だった(時間差を付けるため人によって違った)。行くとピーセン*1で見たことがあるような人が何人かいたが、おそらく私のことが分かる人はいないだろう。「いってらっしゃい」「いってきます」「楽しんできてね」などとやり取りをしているのを横目にスルーした。見送りはいない。

検査などを無事に全て通過し、部屋のカードキーなども渡され、ついに船に乗り込んだ。

大きい船!

てっきりスタッフは日本人ばかりだと思っていたので、外国人スタッフが多いことに驚いた(ハウスキーパーやレストランで働いているのはほぼ100%外国人である)。

まだ慣れていない様子のクルーに連れられて、部屋まで辿り着いた。部屋のグレードはいくつかあるが、私は一番安いプランなので知らない人4人との相部屋である。このドアを開けたらもう誰かいるのだろうか。

ドアを開けられて入ると、郵送で送ったのであろうスーツケースが1つと、ベッドが2つ。2つ?!あれ、4人部屋じゃないのか?この部屋で合ってる?特に何の説明もないまま部屋に放置された。これはどういう感じなのだろうか。

とりあえずベッドの上に置かれたプリント数枚に目を通す。どうやら今日は避難訓練があった後に出航式があるらしい。なるほど。それまでは特にはやることがなさそうだし部屋の観察でもするか。

テレビの下に金庫が2つあってその下に小さい冷蔵庫。洗面台とトイレとカーテンで仕切られた小さいシャワールーム。クローゼットと他にも引き出しがたくさん。よく見るとベッドの横に簡易ベッドのようなものが1つあったので3人部屋という可能性もゼロではないが、2人で使えるのなら結構快適なのではないだろうか。相部屋の人が来るまではまだ荷物を開けるわけにもいかないしとにかく暇なので、とりあえずスーツケースが置かれていない方のベッドに腰を下ろした。そして熱の後遺症の咳が止まらないのでひたすらのど飴をなめていた。

どれくらい待っただろうか。急に部屋のドアが開いてお姉さんが入ってきた。あれ、4人部屋じゃないの?!というような同じような反応をしていた気がする。最近人の年齢が全く当てられない。ちょっと上な気もするし、でももしかしたら下かもな。ひとまず軽く自己紹介をして、咳が出るけど一応コロナではないと伝えた。ベッドはどちらでもいいということだったので勝手に座らせてもらっていた方のベッドになり、もしもう1人来たらその時にまた話し合おうということになった。

「とりあえずこの後避難訓練があるみたいです」

 

やっと避難訓練の放送がなったので部屋を出るとキャッキャキャッキャした女の子がたくさんいた。合っているか分からないけれど同部屋の子ととりあえず近くの階段を下って避難。

マスターステーション(避難場所)に行くと若者がちらちらといて自己紹介をしていた。見るとみんな首からネームプレートをぶら下げていた。それはどこで手に入れたんだ(後から聞いたところ、ピーセンのいってらっしゃいパーティーでもらったらしい)。「○○です。」「○○です。」みんな名乗るのはニックネームである。自分もピーセンに行ったときに付けられたあだ名があったので「さめたカイロです(実際は別のあだ名だがこのブログではさめたカイロとする)」と名乗ると、隣にいた同部屋の子がキョトンとしていた。「何でみんなあだ名で名乗ってるの?」彼女は一度もピーセンに行ったことがないらしく、顔見知り程度の人も全くいないらしい。周りがわりと「久しぶりー」みたいな雰囲気で盛り上がっていたので、そういう子が近くにいてくれて心強かった。そんな彼女が自分で即興で付けたあだ名が「とくちゃん」である。そしてとくちゃんは偶然にも同い年であった。

 

避難訓練の後、出航式が始まった。ちょっとした、ちゃんとした式である。偉い人の挨拶とか、いってきますの挨拶とか、楽器隊が演奏してくれたりとか。神戸の方が近いのにこの出港式に参加するためにわざわざ横浜から乗る人もいるのだとか。陸にはお見送りに来た人が結構いた。やっと行けるんだと泣いている人もいた。自分は冬のクルーズに乗れなかっただけだけど、何年も船が出るのを待っていた人もいるんだもんな。「いってきまーす」特に誰に、というわけではないが、手を振って陸に別れを告げた。電波があるうちに帰りの飛行機を予約した。

無事に出航したのでとくちゃんと14階にお昼を食べに行った。14階レストランはバイキング形式の食べ放題である。ごはんもあればコーヒーやジュース、デザートもあるし、朝6時から夜0時まで開いているので食に困ることはなさそうだ。スーツケースにお菓子をたくさん詰めて持ってきたのだが、その必要はなかったようだ。お酒やおつまみはお金がかかるが、基本的な食事は全て船代に含まれている。

 

ある程度荷解きをした後に船内を探検した。慣れるまで迷いそうだ。ジムがあったので行ってみた。これも使い放題か。

 

夜ご飯は5階に行ってみた。14階でも食べられるが、5階ではコース料理が食べられるらしい。17時半からと19時からの二部制で、一応人によって時間が決められており、19時からだったのでその時間に行った(「一応」というのは、そこまで厳密ではなく17時半に行っても普通に入れてもらえるからだ)。

とくちゃんと2人で行ったのだが、入ると、4人席に通されて知らないおばさん2人と相席になった。各3種類くらいある中から好きなものを選んで頼む。

それにしても、よく揺れる。やっと運ばれてきた前菜を食べていると、船酔いに弱いとくちゃんがごめん、と部屋に戻ってしまった。知らない人の中で取り残される私。前菜が出てから次の料理が運ばれてくるまで30分くらい待った。なんでこんなに時間がかかるのだ。これなら14階で食べる方が待つストレスも無いだろう。味はまあ美味しかった。

 

部屋に戻ると、とくちゃんがベッドの上でしんでいた。大きい船は全然揺れないと聞いていたので初日からこんなに揺れるとこの先が心配でしかない。しかもただ揺れているだけでなく、時々座礁した?!と心配になるような音が響いたりもしていたのだ。大丈夫かな、この船。そんなに船酔いをする方ではないのにこの日はさすがに酔った。

そんな1日目。

*1:ピースボートセンター。東京、横浜、名古屋、大阪、福岡にあり、そこでボランティア活動をすると船賃が割引になる。

ピースボートv114で世界一周 0日目(2023.4.6)

0日目。4月6日。

 

横浜出港には前日入りしないと間に合わないため、飛行機で羽田まで飛んで前乗りした。

実はこの前日に熱が出て具合も悪く、早めに寝たりして熱は下がったものの、まだ本調子ではなかった。気合でなんとかはなりそうだったが、乗船時にPCR検査の結果を提示しないといけなく、もちろん陽性だと乗れなくなってしまう。そして2日前に受けたPCR検査の結果が出るのがこの日だったのだが、なかなか結果が出ない。だが飛行機の時間が来てしまったので、結果が分からないままではあるがとりあえず横浜に向かうことに。

仮にこれで陽性だったら横浜からとんぼ返りになってしまう。横浜に行くだけ虚しいだけだ。しかしそれよりもっと悲しいのは、もしも今回乗れなくなってしまったら、次のクルーズに乗るとしても4か月以上先である。それまでどうする。バイトでもして4か月過ごすか?…いや、これ以上は待てない。なんとしても今乗りたいのだ。

 

 

そもそもなぜ船で世界一周をしようと思ったのか。

大学卒業後、就職して東京で生活していたのだが、毎日同じような暮らしに飽き飽きしていた。どこか行きたいな。でも国内はもうわりと行ってしまったし特に行きたいところも思いつかない。

そんなときに、どこかの居酒屋のトイレに貼られていたピースボートのポスターが目に入ってきた。今まで何度も目にしたことはあったが、なんか怪しいよなとか、へえ、こんなのがあるんだ、と完全に他人事で、それ以上踏み込んだことは一度もなかった。しかしその時ばかりは、これってどうなんだろう、ちょっと調べてみようと思うに至った。海外旅行に行きたい気持ちは前々からあったが1人で海外旅行に行く勇気がなかったので、これは丁度良いかもしれないと思った。しかも、ぼちぼち仕事を辞めて地元に戻ろうかなと思ったりもしていたので、転職のタイミングで行くのは大いにありだなと思った。

ネットを調べると変な噂なども書かれていたりしたが、とりあえず資料請求をしてみることに。すると後日電話がかかってきた。何を聞かれたか詳しくは覚えていないが、高田馬場にあるピースボートセンター(通称ピーセン)というところに説明会に行くことになった。これが2022年の5月くらいのことだ。

ボランティアで街中にポスターを貼るか内勤をすると割引が貯められて、それで船賃が安くなるという。街中に貼られているポスターはボランティアが貼っているものだったのか。頑張れば4か月くらいで船賃の全額分の割引を貯められてタダで乗れると聞いて、仕事を辞めてボランティアに専念しようかとも思った。しかし、コロナでしばらく船が出ておらずそれがいつ出るという確証もなかったのでボランティア割引を貯めたのにいつまでも出ませんとなった時のリスクが大きすぎるのと、飛び込み営業スタイルのポスター貼りが思っていたよりも大変で、普通に仕事をしていた方が楽に稼げるし現金を貯めた方がアンパイだと思ったので大人しく仕事を続けることにした。

本当は12月出発の113回クルーズに乗ろうと思っていた、というのもあり、仕事は12月で辞めて地元に戻った。それまで数回だがピーセンに行ってポスター貼りや内勤をしたりイベントに参加したりしたので一応数人は顔見知りができた(そして同時に怪しい組織じゃないか見極めてもいた(笑))。

退職してからはリゾートバイトでお小遣い稼ぎをしていた。そんな中、1月に、4月の114回クルーズが出ることが分かり、乗れることが確定した。実に3年ぶりの出港である。

そして準備なんかもしっかりしてようやくだと楽しみにしていたのに前々日に発熱するなんて…

さて、夜20時頃になってようやくPCR検査の結果が出た。合格発表のような緊張感…。いや、自信が全くなかったので合格発表よりも怖かったかもしれない。

結果は…

 

陰性!!!

ああ、よかった!本当に!

乗れるじゃん!

 

そんなドキドキの0日目でした。

『新卒×女×タクシー』読んでください!

ちょっと宣伝です!

 

私の友人の高野ほっきがいが『新卒×女×タクシー』という本を出しました!

アマゾンとかで買えます!とりあえず検索だけでもしてもらえると嬉しいらしいです!

 

新卒でタクシー運転手になった女性(ほっきがい)のエッセイです!

薄くてすぐ読めるしタクシーの色んなことを知れて面白いと思うので暇つぶしにでもぜひ!

 

ご無沙汰しております。

みなさんご無沙汰しております。さめたカイロです!

4年ぶりの投稿に自分でも大変驚いています。

 

ひとり旅はちょこちょこしていてある程度文章にしたものもあるのですが、完成しないで眠ったままで...

それもなんとかしたいのですが、

今年(2023年)の4月7日から7月23日までクルーズ船で世界一周してきました!

なので、記憶があるうちにこちらを先に書いてしまいたいなと思います。

 

ここに宣言したからには絶対に書きます!絶対に!!

 

ただ、毎日日記をつけようと思っていたのに書いていない日も多々ある(というかほとんど書いていない)ので大丈夫か...?という不安しかありませんが、これから世界一周をしたいと思っている人や世界一周がどんな感じだったのか知りたい人の役に少しでも立てればいいなと思って書こうと思います!

 

寄港地はもちろん、船内生活や持ち物なども書いていこうと思います!

10月中に完成させるのが目標ですが、気長にお待ちください。ではまた!