ピースボートv114で世界一周 2~6日目(2023.4.8~12)

神戸港に到着!

2日目の15時半に神戸港に着いた。18時半の出航式、そして出航までけっこう時間があったが陸に降りることはできない。暇なのでジムのウォーキングマシンでひたすら歩いていたら、止めても足が勝手に動くという変な感覚を体験できた。

ウォーキングマシン以外もある

神戸から人が乗ってきて昨日よりぐっと人が増えたなと感じた。結局部屋の人数は増えなかったので2人部屋だ。聞くと、今回に限ってはコロナ対策で4人部屋が無いらしい。同じ値段で2人部屋になるなんてラッキーだ。相方との相性が悪かったら最悪だけど(そんな部屋もあったなぁ)。

 

洋上ラジオ体操

毎日20時頃、部屋に船内新聞が投函される。船内新聞には次の日のイベントなどが場所ごとに書かれていて、それで自分の予定を組んだりする。相部屋のとくちゃんとベッドの上でよく「明日何するのー」なんて話をしていた。新聞を見ていると、気になるものが。6:45-7:00洋上ラジオ体操。朝早いが、朝方の自分にとってはそこまで苦ではないし、とくちゃんも朝方になりたいとのことだったので2人で行ってみようということになった。

それからラジオ体操で1日を始めるのが日課となった。ラジオ体操なんてスタンプをもらいに行っていたいつかの夏休み以来していなかったが、外のデッキで、しかも海の上でするラジオ体操はなんとも清々しいのだ。

4月26日のラジオ体操では朝焼けが見られた

 

麻雀

とくちゃんが急に「麻雀って興味ない?」と聞いてきた。船内を散策していた時に、麻雀部屋で麻雀をやりたいけど人数が足りないという方と出会ったと。とくちゃんはケータイのアプリでやったことがあってなんとなくは分かるらしい。暇だしとりあえず行ってみることにした。ポンジャンというのは家で何度もやったことがあるけれどそれとは全然違うだろう。

ケータイのスクショで基本的なルールを見せてくれたが、大して読む暇もなく始まってしまった。やったことがないとは伝えたが、だからといっていちいち聞けるような雰囲気ではない。何も分からないから、とりあえず自分の番になったら1つ引いてきて要らないっぽいやつを捨てる。そして他の人が上がった時になぜ上がれたのかを観察する。そんなことを繰り返していた。ネットで調べられたらな、なんて思っても船の上だから電波が無いのだ。

ある時若い女性2人が麻雀部屋に現れた。「ハリー」と「エレキ」である。ハリーは普通にできるしエレキもアプリでやったことがあるというとくちゃんパターンだ。それから4人で時間を合わせてやったりもした。麻雀友達になった。

マニラに降りてから行かなくなってしまったが、それまでは毎日麻雀部屋に行っていた。上がり方なんかもなんとなくは分かるようになった。

 

若者がいない

船に乗る前に若者もけっこう乗ると聞いていたが、普通に生活していてもこんなに会わないものなのか?というくらい会わない。夜にちらちら見るくらいで、朝も昼も、ごはんの時でさえ全然会わないのだ。周りを見てもおじさんおばさんばかり。朝のラジオ体操から自然とほとんど行動を共にしていたとくちゃんと「なんでこんなに若者がいないんだろうね」「みんなどこにいるんだろうね」と話していて、ごはんでご一緒した人に「若者となぜか全然会わないんです」と言うと、「生活リズムが私たちと同じような感じだからじゃない?」と返ってきた。なるほど、早寝早起きがダメなのだろうか。

ある日の5階の昼食。炭水化物×炭水化物!

 

3日目から「ユース学び舎」という企画が始まった。ここに行けば若者がいるかも!と思って行くと、案の定たくさんいた。船旅を通して学びを深めようというものだったが、最初の2回くらいは自己紹介とか交流の場であったのでそこで何人か顔見知りはできた。その後も行こうかと思ってはいたが、ディスカッションをしたりするのが学校の様だし話し合う内容もあまり興味のない分野だったので自分には合わなくて行くのを辞めた。

4日目の夜には「わいわいPARTY NIGHT♪」という企画があった。20:30-22:00という時間帯からしてターゲット層は明らかに若者だろう。行ってみるとユース学び舎以上の数の若者がいた。70人くらいだろう。え、こんなにいたの?!ジェスチャーゲームとかレクなようなものを文字通りわいわいやって何人かは名前を覚えたつもりだったけれど、案外1回じゃ覚えられないものである。

そしてそういう企画に参加しない限り、やっぱりなぜか若者が全然いない。

色々な人に「いつもどこにいるの?」と聞いたら、大抵の人が「普通にその辺にいるよ。逆にどこにいるの?」と言ってくる。やはりそもそもの活動時間が全く違うのだろうか。

 

船内チーム紹介

船内チーム紹介というものがあった。船内では、企画、映像、PA、新聞、ピースボートセンターと5つのチームがあり、イメージとしては委員会のような感じである。もちろん属しても属さなくてもよい。ほぼ毎日ミーティングのようなものがあるが、これは強制参加ではない。

私は映像チームに入った。船内では「クルナビ」という船内情報や天気などを放送する船内用の番組が流れるのだが、主な活動としてはそこで使う映像を撮ったり編集をしたりする。後半は他が忙しくてなかなか顔を出せなかったが、良い経験になった。

他のチームはざっとしか分からないので、分かる範囲で説明する。

企画は、大きめのイベントがある前に募集され、企画、装飾、運営などを行ういわゆる実行委員である。

PAは企画、イベントの時の音響や照明などを担当する。チーム内の繋がりが一番強そうで頻繁に集まりをしていて楽しそうではあった。

新聞は、毎日船室に配布される船内新聞を作るチームで、自主企画申請広場(また後日紹介する)で自主企画の受付も担当する。

ピースボートセンター(通称:ピーセン)自体は陸にもあるが、船内で言うところのピーセンは物品を借りられる所である。ペン、雑紙、地球の歩き方など色々揃っているので、何か欲しい時にはとりあえずピーセンに行って聞いてみたりする。そんなピーセンで貸し出しの窓口になるのが、ピーセンチームである。

 

フラメンコ

4日目に出航記念フラメンコショーがあった。7階には「プリンセスシアター」と「ビスタラウンジ(通称:ビスタ)」という大きい会場があり、催し物は大体そのどちらかで行われる。本格的なものを無料で見られるなんて思ってもいなかった。

プリンセスシアターには2000人くらい入れる

さらに、6日目から「はじめてのフラメンコ」という企画が始まった。歌と踊りとギターに分かれてそれぞれ練習し、最後に合わせるというものだ。フラメンコを実際に見て興味を持った人たちがすぐに参加できる機会があるなんて、素晴らしいの一言に尽きる。自分も踊りに参加した。

 

講義

水先案内人(通称:水案)という方々も何名か乗船していて、その方達が講義をしてくれたりもする。歴史や政治、教育、世界の国のあれこれなど内容は様々で、もちろん参加は自由だ。ずっと同じ人たちが乗っているわけではなく、途中で降りたり途中から乗ってきたりしてころころ変わる。その水案の講義にも何回か行ったが、大体前半で眠くなって寝てしまうので意味がないなと思ってあまり積極的には行かなくなった。眠りを誘ってくるビスタの椅子も悪い(笑)

 

○○のいろは

「マニラのいろは」など、寄港地の前にやってくれる企画。これはほぼ欠かさず行っていた。たまにどうやっても行けないところを紹介してくるなど無茶苦茶なこともあったが、比較的ためになる企画であった。寄港地の情報は、大体これとピーセンで借りられる地球の歩き方(web版)を使って入手しており、あとはオフラインでも使えるMAPS.MEという地図アプリを重宝していた。

 

本日の脳トレ

脳トレにドはまりする。1日1問。問題がスクリーンに映し出されて、答えが分かった人から司会者の元へ行き、メガホンを通して回答する。テレビでよく見るような光景が、参加していて楽しい。答えた人から帰ってよし、途中から参加するもよし(後半だと高確率でヒントが出てしまっているが)。そんな気軽に参加できる感じがちょうどいいのだ。

このメガホンを使って回答する

それでも本気の人は本気だ。問題が出された瞬間回答に行く、そんな強者もいた。それが「スプ兄」である。本当は「スプリング」というあだ名なのだが、なんだか悔しいのと尊敬の意味を込めて、勝手にそう呼ぶことにした。年下だし兄(にい)でもなんでもないのだが、脳トレの兄(にい)といったところだ。他にも「米村」とか「フレップ」がよくバチバチしていた。さすがに行けない日もあったが、脳トレだけは序盤から終盤までわりと参加し続けていた。

 

コインランドリーが使えない?!

事前に電話で確認したときには「あります」とのことだったのに、なぜかしばらく使えないらしい。まあ確かにあることはあるのだが使えないとは聞いていない。

ランドリーサービスはあるのだが、1袋800円。うーん。とりあえずコインランドリーが使えるようになるまではファブリーズと手洗いで頑張ることにした。

 

トイレが詰まるなど、船内の不調は他にもあった。

 

離脱する?

船に乗ってから知ったのだが、船から一時的に離脱することも可能なのだ。離脱をする前にレセプションで離脱届を出さないといけないが、港から次の港(もしくはもっと先の港)まで船に戻らずに自由行動をして戻ってくるということもできるということだ。

ある日夜ご飯で一緒になったおばさんに、スペイン~フランス間は船に乗っていても特に面白い場所は通らないから、離脱して電車で移動でもしたら?と提案された。電車旅は好きなので最初はそれで頭に引っかかった。行けたらいいなあ。だけど調べる時間とかも全然無いのに本当に行けるのだろうか。

何かの会話の流れで、一応乗る前から知り合いだった「タイニー」に軽く話したところ、私以上に乗り気になっていた。「それいいね!人集めるよ!」とりあえず3日間もあるマニラで調べてみようということになった。

 

フィリピン入国手続き

フィリピンの入国手続きは船内のwifiを使って自分で行わなければならないという手紙が客室に届いた。混雑しないように〇階の部屋は〇時からなどと決められていたのだが、先に手続きをしようとしていた年配の方々が苦戦していて、そのへんの若者にお金を払うから代わりにやってくれと頼んでいる人もいた。結局のところwifiの接続が悪すぎて若者がやってもできなかったのだが、それに付け込んで今度は船会社が「〇円で代行手続きします」と言い出した。そこで、ネット環境が悪くてできないのに船側がお金を取ってやるのはおかしいと乗客が抗議し、結局は全員分タダで船側がやってくれることとなったが、ここで少々不信感を覚えた。

他にも

「バスケをしよう!」で中学ぶりにバスケをしたり、「一緒に夕日を撮ろう!」でデッキに夕日を撮りに行ったりもした。

 

東京ピーセンで知り合った何人かに初めて船で認識されたときに「あれ、いたんだ」と言われた。あくまで、114回クルーズだったんだ、という意味で、決して悪気はないとは分かっていながらも、少し淋しくなった。ピーセンに行って乗る前から知り合いを作れるのはとても良いことだと思うが、そこの繋がりが強すぎて、そこに入れていない者からすると少しだけアウェイだと感じることもあった。少しだけ。けっこう気さくな人が多いので、そう感じたのも最初の数日だけではあったが。